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同志社大学を中心に活動する学生劇団、演劇集団Qの日記
演出後記(パウ)
2020年03月03日 (火) | 編集 |

演劇集団Qお前それゴルゴダでも同じこと言えんの?卒業公演『ジーザス・クライスト・スーパースター ~山に登りて笑え』
おかげさまで無事終演いたしました。
演出のパウです。

「良心教育、キリスト教主義を掲げる同志社大学で、キリスト教を題材としためちゃくちゃ不謹慎な芝居をやっちゃおう」
「お隣の同志社小劇場ご出身である筒井康隆先生の著作の中でもとりわけトリッキーな戯曲をQでド派手にやっちゃおう」
というコンセプトで企画した今回の公演。

聖書を間違いだらけの本と言ってのけるJ.Cのめちゃくちゃな演説とずさんな奇跡(日替わりでアドリブやお客様へのちょっかい満載のシーンになりました)、観客に配りながら歌った「J.Cカードを持ってるかい」というふざけ散らかした歌(おそらく「ジーザス・クライスト・スーパースター」へのオマージュでしょう)、今回役者が12人いなかったため一部の客席を最後の晩餐の席に変え、お客様(サクラではない)にもパンと葡萄ジュースをふるまいました。また、ユダヤ・テレビというカメラマンの小道具を映像中継してリアルタイムで舞台上に映し出し、J.Cへの突撃取材として朝まで生テレビが始まるかと思いきや律法学者との論争はリーガル・ハイになり、パンと葡萄酒は実はユダの血肉で怒涛のカーニバリズム(因みにJ.Cがユダの生首にキスをする演出はオリジナルのもので戯曲にはありません。裏切りの接吻の逆構図として面白いかなと思いました)、全裸監督を経て磔にされたJ.Cは放尿し、母マリヤはひとでなしと罵って泣き叫び、筒井といえばパプリカだろうと平沢進氏の音楽を爆音で流しながらのラストシーン、といったような内容の芝居でした。

さらに前座的な位置付けで、タイム・マシンを発明したと打ち明ける男とその友人が馬鹿笑いをして、数分前にタイム・スリップし、馬鹿笑いをする自分たちを見て馬鹿笑いをする筒井康隆先生の短編『笑うな』(本編副題の「笑え」との対応でもあります)と、客席を最後の晩餐仕様へ変える舞台転換の間に「新島襄先生のお面をつけた役者が孤独のグルメをする」というシーンも付け加えさせていただきました。

「全員誰かからメチャクチャ怒られてしまえばいいのに」というご感想を頂きましたが、本当にその通りだと思います。私もそう思います。

しかし、頂いたアンケートを拝読するに、ご来場いただいた皆様はおおむね驚いたり笑ったりしてお楽しみいただけていたようです。

自分が面白いだろうなあと想像していたことを役者がもっと面白く演じてくれ、それをお客様にも面白いと言っていただける、シンプルですが演出冥利につきるとはこのことと改めて実感いたしました。



今回の稽古ではキャスティング後の約2週間を座学に費やし、役者全員でキリスト教の成り立ちから勉強し、旧約聖書・新約聖書を読み、キリスト教を深く理解しようと努めました。
また、ペテロ・アンデレとヤコブ・ヨハネという2組の兄弟について、それぞれの人物に関するエピソードをもとにキャラクターを確立させ、役者陣には兄弟間の複雑な愛憎模様を深く掘り下げてもらいました。そして、母マリヤは清廉なイメージとはかけ離れ、保身に塗れた俗世的な人物として、逆にマグダラのマリヤは無垢な少女として演じてもらいました。
この辺りの史実とのちょっとしたズラシは元ネタがある作品ならではの楽しみで、とても新鮮に感じました。


忘れてはならないのが、ここ最近の演劇界にとって死活問題である新型コロナの件です。

実は初日のマチソワ後に大学の学生支援センターからイベント自粛の勧告を受けており、残りの公演が打てるかどうかは2日目の朝になるまで分からない状態でした。
劇団としてできる最大限の配慮をして、お客様にもマスク着用やアルコール消毒等のご協力を賜り、辛うじて実現した土曜日の公演から、この作品は別物となっていました。その状況になって、よりこの芝居の痛烈なメッセージ性が強まったように感じたのです。

「のちの世、人はみな、(中略)些細なる目茶目茶のひとつすら許されず、唯一、非日常の目茶目茶が許される筈の祭りすら管理されるようながんじがらめの社会の中で窒息するのだ。」

というJ.Cの台詞は、まさに全国で公演中止の相次ぐ今日の世相を言い当てているようで、幕裏で聞いていてぞっとするほど重たく響きました。

「がんじがらめの社会の中で窒息するのだ」この台詞をJ.C役の本田哲男は本当に窒息しそうな声色で発していたのですが、千穐楽だけ吠えるように叫んでいたのがとても印象的でした。何故そうしたのか本人に聞いても覚えてなさそうなので聞いていませんが、私自身、ひいては座組全体の「窒息してたまるか」という思いが台詞に乗ったようでハッとさせられたなあと思い返しております。

おそらく筒井先生が最も言いたかったであろうJ.Cの最後の台詞、
「今後、世の中が息苦しくなるたびに、必ずその社会を馬鹿にし、目茶目茶をやり、ひとを笑わせるやつがあらわれるだろう。いつの世にも、どこの国にもだ。そいつのために人は日常の世界から非日常の世界に引き戻され、危うく息つぎができ、社会は精神の均衡を取り戻すだろう。しかし結局は、やりすぎのためにそいつは世の非難をあびる。だが、いかに非難を浴びようと、たとえ抹殺されようと、そいつは生まれ変わり死に変わり、いつでも、どこへでも必ずあらわれることだろう。それがわたしだ。」

ちっぽけな日本の隅っこでこの芝居を打つくらいでは社会の精神の均衡になどなんの影響も及ぼすことはできませんが、「マスクで息苦しい毎日も少しは楽になりました」というご感想を頂けたことが我々にとって何よりの救いであると思っております。



作品の話は以上です!長々とお読み頂きありがとうございました。

数年前に参加した演劇集団Q社会への島流し引退公演『阿呆船』で演出の南里さんが「阿呆船」考というネタバラシと解説のブログを書かれていたのがかっこよかったので、ただ真似しました。

思えば『阿呆船』みたいなことがやりたいという思いで演出した引退公演『盲人書簡(上海篇)』ですが、その観劇をきっかけにQへ入団したという劇団員が今回の座組にいました。シンプルに嬉しい!
迷惑かけてばかりのクソザコ演出ですまんかった〜!後輩に恵まれ、後輩に助けられ、幸せな座組でした。ありがとう。同期のお前たちもありがとう。

もう数ヶ月すれば彼ら彼女らの公演を観て、これは!と思った劇薬みたいな大学生たちが入団してくるのでしょう。Qに入る人間はQに入るべくして入ってくるのであって、スタンド使いはスタンド使いにひかれ合う的なあれだと思います。何も心配せずとも向こうから勝手にやってくるでしょう。みんなプリキュアだ。わたしもプリキュアだ。

新歓公演は4/24日(金)~4月26日(日)だそうです!私の代わりにぜひ見届けてあげてください。

というわけで、もうこのブログに書くことはありませんし、もうこのブログを書くこともありません!終わりで〜す!お疲れちゃんでした!



パウ


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