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同志社大学を中心に活動する学生劇団、演劇集団Qの日記
「阿呆船」考
2016年11月12日 (土) | 編集 |

こんばんは。南里初陽です。

社会への島流し引退公演「阿呆船」終演しました。

終演後にこういうの書かないと演出っぽくならないらしいです。せっかくなので、公演をご覧になれなかった方のためにもそうでない方のためにも、盛大なネタばらしをしたいと思います。
※長文注意


1)舞台について
小ホールの中央に座布団があり、その周りを360度舞台で囲んでいました。
腰が痛いとか首が痛いとか、沢山ご意見をいただきました。申し訳ありません。それも計算済みです。
何故あのような舞台になったかと言いますと

これ↓

パノプティコン


パノプティコンです。はい。そのまんま。もはや表現でもない。
役者が囚人となり、観客を看守に仕立て上げる装置を作りました。愚直にも。

何故いつものような、観客が一方向を向いて座るタイプの舞台にしなかったか。
一つの理由は、私の想像力の限界です。
初めはもちろん一般的なエンドステージ形式の舞台を想定して稽古を始めました。しかし、稽古2週目くらいで、この戯曲をこの劇団で上演するにあたり、いわゆる一般的なタイプの舞台では限界があると思ったのです。雑な言い方をすると、私はこの戯曲をエンドステージ形式の舞台で上演するための演出を「思いつかなかった」のです。
(参考:http://www.jafra.or.jp/j/library/letter/045/let02_2.html

私の想像力の完全な敗北です。

「無理かもしれないけど、面白そうだし、とりあえずやってみるか」
そう思ってこの舞台を想定して演出をつけたら、思いの他効果がありました。

当初は完全な円形にすることも考えていたのですが、新町別館小ホールの形状が長方形であること、またどこかで「船」のイメージが発生することなどをあれこれ考えて、あとはト書きにある行動をし易くした結果、あのような高低差のある楕円形?八角形?の舞台になりました。



話が少しずれますが、ラストシーン「阿呆船」の合唱の際に布を使う演出も、舞台をこの形状にすることが決まった時に思いついたものです。
あの演出、多くの人が「自分も船に乗せられるようだ」と感じたらしいですが、

正直なところ、あの布は「何も表していません」。
船のようだと感じてくださっても構いません。
どのような感じ方・印象をもたらしても構わないから、やってみたい。そう思って提案しました。劇団員からは「高低差もあるし、布だけでは船に見えないのでは」「船に見せたいなら帆を作った方が良いのでは」という意見もいただきました。
結果的に無駄だとは思わなかったので、悪くはなかったと思います。

Image_e7a5055_20161112041222ebf.jpg

(照明オペ室から見た舞台稽古風景。カメラの都合上全貌を写せないのが残念です)

ただ、ラストシーンの布ではなく人間に対する演出は公演直前まで悩みました。私の中では船出というよりも「レクイエム」そして「儀式」のイメージがあったのです。ミュージカルのフィナーレのように胸を熱くさせるか、より強固な信念に向かうか。多分そこは賛否両論あったのではないかと思います。


2)音楽について
J・A・シーザーが原曲を作っています。(CDも出ています)
その一部を山田春菜に編曲してもらい、また新たに作曲を依頼しました。
前回の演出作品「狂人なおもて往生をとぐ」(2015)で私の音響センスのなさに批判を受けたため、今回はなるべく経験豊富で学のある音響班にアドバイスを求めました。

前提として、今ある演劇集団Qでは当時の天井桟敷の完全な再現はできません。時代も違うし、劇団の規模も違うからです。
今、この舞台で、この劇団で上演するにはどうすべきか?という点で悩みました。
そして、もう一つ留意しなければならなかった点は、「寺山作品は音響に支配されうる」という点です。音楽が非常に重要なのです。
「阿呆船」の初演がイラン・ペルセポリス芸術祭であったことを考慮しても、それは明白です。言語の通じない国で上演するということは、言語を超える力が必要だったのです。それがJ・A・シーザーの音楽だったのでしょう。
(参考文献:https://goo.gl/AjBImY
この状況を考慮するほかは、こうしたいという強固なイメージも特になく、ただ血生臭さを抜きたいという思いが少しあったくらいでした。
そこで、山田春菜や音響班との度重なる相談の結果、
・コーランの歌や、イスラム圏の音楽を想起させる
・ト書きに「12世紀ヨーロッパ」とあるように、中世の楽器を使う
ことになりました。

ちなみに、最後の「阿呆船」の曲は、山田春菜にミニマル・ミュージックというものを教わったので、それを元に編曲するよう彼女に依頼しました。

他に参考にしたのが、2011年にイギリスのNational Theatreで上演されたFrankensteinの音楽です。
https://www.youtube.com/watch?v=tdluKnE7fRQ
寺山作品におけるシーザーの音楽のように、ダニー・ボイルの作品にはUnderworldの音楽が必要だったようです。
これはただ単に好きだからというのもありますが、音楽性は違えど、異様なまでも支配力をもつ点でシーザーの音楽共通だったからです。

山田春菜作編曲の音楽はこちらから聴けます。
https://soundcloud.com/arboost

元の阿呆船の音楽と是非、聴き比べてください。全然違います。
https://youtu.be/RPhDJoleUds


3)戯曲の解釈について
正直、最後まで明瞭でなかった点もあります。
しかし、
・たまたま当劇団に「Qの寺山」というパラダイムがあった
・演出を一切加えず、ただト書き通りに戯曲を三次元化してもそれっぽくなる戯曲だった
ということから、解釈を抜きにしても上演は可能でした。
ところが、劇団員と相談を重ねるうちに、この物語は全て「松葉杖の医学生」の夢ではないかという考えが浮上し、結局最後までその考えを貫きました。
決して一様の考え方にとどまらないと思います。

ただ、フーコー『狂気の歴史』の演劇化と寺山は述べていますが、この戯曲には若干寺山自身の誤読が含まれます。
(少なくともフーコーは理性/狂気二元論の片方を擁護することはありません。)
実は私は寺山の「阿呆船」に出会う前にフーコーを読んだので、そこは初めから留意したうえで、それでも「寺山の」戯曲を演出するにあたりどうするか?ということは常々考えていました。
劇中ラストシーンで、布で空間を包むような演出をしたのは、この二元論から脱却するためというのもあります。確か、他の劇団が上演した阿呆船は「狂人たちの船出」で終わっていましたし、実は戯曲上(歌詞上)でもそうなのです。


4)配役について
特筆すべきことはありませんが、これだけは言わせてください。
Qの役者10人に対し、戯曲指定の役は48役ありました。
本当はやっていいことなのか正直わかりませんが、キャスティング前に香盤表を作り、誰がどの場面で何役で出演しているか、着替えなど物理的に兼役が可能か、という極めて現実的な検討から始まりました。
その上で、一部の役を削除し、また一部男性の役を女性の役者に演じさせました。
戯曲の指定に反して異性の役を演じさせることは賛否両論ありますが、私は何ら問題ないと思っています。とりわけ寺山作品においては。
例えば、「思い出し笑いする女」「言うことを聞かない身体」「穴掘り」「山羊を連れた狂人」などが元々男性の役でした。


***


さすがに書き疲れたので、作品の話は以上で終わりにします。
最後に個人的なことを少しだけ、書かせてもらいます。

先述したように、私は演劇をする中で、自身の想像力に限界を感じました。
役者をやれば「不自然」と言われる。想像力が足りないから、役に対するイメージを完璧に作れていないからだと指摘されたこともあります。
(今考えるとまるで精神盲のような話ですが)
今夏くらいまで、演劇をイメージの芸術でなくすることはできないかと試みてもいたのですが、それも結果的に不可能でした。

人間は根源的に表現欲を持っていて、演劇はその発露であるという考えの人は一定数いますが、私にはその表現欲というものがまるでない。人間としての欠陥です。
ないものを引きずり回すのは辛いことです。
早くこの地獄から逃れたいと心の片隅で願っていましたが

今、ようやく引退して、このイメージの地獄から解放されたことに喜びさえ感じています。

現在、大学では哲学を学んでいますが、卒業後は大学院に進学し演劇学を学ぶ予定です。演劇を学ぶために演劇をやめるという一見おかしな状況ですが、私はそれをこの上なく幸せな状況だと考えています。

私は演劇を心底愛しています。だからこそ、演劇をやめられることが幸せですし、この先も演劇の勉強を続けられることが幸せです。

もっと早く役者活動をやめていれば良かったと後悔しています。それか、レズビアン女優に特化して活動するか。

演出も、こんな想像力のなさでは到底務まらないものだと痛感しました。賛否両論起こすのは純粋に楽しいことではありましたが。

また、五年後、十年後に、もう一度演劇活動をする意欲が沸いてきたら

嬉しいことに、今回の「阿呆船」は演劇集団Q史上最多動員を記録しました。以前の最多動員は2014年、私も出演した「半神」でした。自分の歴史を自分で塗り替えたことに自惚れたくはなりますが、冷静に、明日を見つめようと思います。

全然認めたくありませんが、ここまで強い演劇への執着を持ったのも、些少ながらもQで私がしてきた体験が大きく影響していると思います。

当日パンフレットに書きましたように、我々3回生はこれで引退しますが、引退に寄せて私から述べる言葉はありません。本当に。エモくなるのは恥ずかしいから、しれっと去りたいです。


***


302では早速、新人公演の稽古が始まっているようです。
公演日は12月16日(金)~18日(日)、演目は近日公開だそうですよ。
こちらも是非よろしくお願い致します。




それでは。

本当に有難うございました。

あいさつ 阿呆船
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